子育ての原点は出産にあり|生き抜く力を持った子どもを育てるvol.2

2014.12.10

こんにちは。
【「生き抜く力を持った子ども」を育てる】のコラムを担当します、畠中秀明です。

 

子育ての悩みを抱えるお母さんは多かれ少なかれいらっしゃいます。そのときいつも、子育てや教育の原点となるのは、出産のときにあると思っています。

 

自分の息子の出産に立ち会ったときのことです。

陣痛が始まってからの数時間は、僕も一緒に呼吸をしたり励ましたりしながら、心のどこかに「産まれてくるまでにまだ時間がある」と、気持ちに余裕がありました。出産を楽しみにしていました。嫁さんも同じ気持ちだったと思います。

 

それが、なかなか赤ちゃんが動かない、思うようにいかないと誰もがわかってくると、「どうしたのかな」という疑問が生まれ、それが不安につながり焦りを生み出します。焦ると、たった10分しか経っていないのに看護師さんに「どうですか?」と聞いてしまう。「まだまだです」と言われるのですが、嫁さんは何時間もずっと・・という状態なので、僕も心配になって右往左往してしまっていました。

 

しかも、当然、産まれる前の赤ちゃんを見ることはできないので、赤ちゃんがどのくらい頑張っていて、どんなに大変なのかを想像することもしていません。嫁さんのことが心配にもなるし、僕自身に疲れも出てくる。焦って時間ばかり気にして。気づいたら、「早く出てこないかな」といった気持ちになってしまっていました。

 

赤ちゃんというのは、本当に長い時間をかけて少しずつ少しずつ移動して産まれてきます。まだまだ、一人で生きられない状態なのですからあたりまえです。頭ではわかっていたはずなのに。必死で一歩一歩、誕生に向かって頑張っているのに、大人の僕が焦って、早く出てくることを期待する・・・それは、早く誕生を迎えてホッとしたいという、自分の欲求なのではないかと思います。

 

そのとき、「ああ、俺は、待ってあげられていない」と感じたのを覚えています。それと同時に「これが教育なんだ」と感じました。赤ちゃんが自力で出てこられるように待つこと。それは、母親は呼吸や姿勢を整えて、赤ちゃんが動きやすくし、父親は母親を支え、母親が赤ちゃんを産みやすい状態を保てるよう支援すること。できることを全部、信じてやり続けながら子どもの成長をじっと待つ。結果を焦って、早々に手を貸したり助けたりしないこと。早く結果を求めようとしないこと。

 

産婦人科の先生が「なんとかしようと思えば取り出せるけれど、それはいやだからね」とつぶやいた瞬間がありました。大人の知恵や医療の技術の手を借りれば、嫁さんはもっと楽に産めたかもしれない。赤ちゃんももっと早く出てこれたかもしれない。しかし、それはしない。なぜなら、赤ちゃんにとって『誕生』とは、自分の力で生まれ出ることが、これから自分の力で様々なことを乗り越えていくはじまりの意味を持つからです。その機会を我々大人が奪ってはいけない。

 

教育の原点は、出産にあります。

焦って手を打つのではなく、じっと見て待って、子どもの自力を信じること。

自力が発揮しやすいようにアドバイスし、助けること。

あくまでも、子どもの自力を最優先とする。

親として教育者として、結果を焦らず子どもが自分の力で人生を歩めるように『一生懸命、待つ』こと

一生懸命、待つんです。

 

ただ待つこととは違います。ただ待つのは、何もしないことと同じ。嫁さんが一生懸命呼吸をしていたように、僕が一生懸命、嫁さんの呼吸に合わせていたように、直接、子どもに対して何かをするわけではない。

子どもに対しては「待っている」だけのように見えるんだけど、子どもが自分の力で乗り越えていけるように一生懸命待つんです。

 

だから、待って待って待って誕生したとき、言葉も発することができないくらいの感動だったように、それは子どもの成長に置き換えてみると、待ちに待った子どもの成長も、同じように感動することになります。そしてその感動は大きな愛情となって再び子どもに注がれていく。たくさんの愛情を受けた子どもは、自分自身に対して強烈な自信を持つことになり、よりいっそう成長していく好循環を生み出していくのでしょう。

 

出産のときを思い出してみましょう。あの頃は、お母さんは自分一人の力で産むことはできなかったはずです。誰かの助けを借りて、支えている人の存在にも感謝したことでしょう。お父さんは、何もできないながらも、できることを必死に考えて応援していたことでしょう。やっぱり何事も、頑張らなければならないのは当人です。親は親のできることを必死にやり、子どもの成長を待つ。

 

「早く産まれてこないかな」などという気持ちは、待てなくなった証拠。早く安心したい証拠。つまり親の安心のためでしかありません。

待てなくなったとき、そのように早く安心したがっている自分の気持ちを感じる瞬間があるなら、親として合格だと思います。

そして、そのような気持ちを子どもにぶつけることなく我が子にかかわれるなら、教育者として合格だと思います。

 

そのような気持ちになって我が子にかかわると「早く勉強しなさい」と言ってしまうから。多くの場合、勉強している我が子を見て安心したいだけの親がほとんどだからです。

 

出産のとき、あなたがどのように感じていたか、

その気持ちが原点となって我が子にかかわっていると、僕は思っています。

 

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畠中秀明

◆個別指導 スクールIE・黄檗校(京都府宇治市)塾長

http://yarukinomori.com/

◆スマイルママラジオ『Bright★Delight』にレギュラー出演中

「カリスマ塾長による「生き抜く力を持った子どもの育て方」コーナーへの

お悩み相談、質問、感想等はinfo@smilemama.jpまで。

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