大阪北部地震から3日【1】今思うこと。|釜ちゃんの日記vol.46
こんにちは。スマイルママ代表・釜ちゃんです。
2018年6月18日(月)朝に起きた大阪北部地震から今日で3日が経ちました。
関西の皆さん、ご無事でしょうか?
地震、すごい揺れでしたね。めちゃくちゃ怖かったですね。
地震が起きた時のこと、そのあとのことを今後のために記しておきたいと思います。
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7:58AM
娘を起こすために寝室へ。我が家は和室で布団を敷いています。この部屋には布団以外のものは何もなく、押入れがあるくらいです。
娘の横にゴロンとして、「そろそろ起きるよー」と声をかけていた時に地震が来ました。
小いガタガタがほんの少し、そのあとすぐに大きな横揺れと縦揺れが一気に。
慌てて娘に布団を被せて「地震!!!ダンゴムシのポーズ!!!」と叫んでいました。
娘を守ることに必死で、自分は何もできず、とりあえず外していたメガネをすぐにつけて娘に覆いかぶさっていました。
我が家は1階に寝室、そして2階にリビングがあって、小3の息子はリビングで学校に行く準備をしていました。
いつもならお向かいに住む友達がすでに迎えに来てくれて、学校に向かって歩いている時間帯。
この日はたまたま友達がくるのが遅かったので、地震が来た時は息子は家にいることができました。本当に良かった。
揺れの間、2階にいる息子が気がかりでしたが、すごい音で揺れてたし、揺れの後に鳴った緊急地震速報の音もあって、とてもうるさいのと私の気持ちに余裕がないのとでとにかく揺れが収まるのを待ちました。
落ち着いたらすぐに息子に「大丈夫かー!」と声をかけ、返事があったのでホッ。
息子は揺れが来た時すぐにリビングの机の下に潜って、ダンゴムシのポーズをしていたそう。良かった。
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すぐにテレビをつけて、状況確認。(でもこの時点でもし停電してたらどうしてたかなと今になって思います。)
テレビがつくとすごく安心しました。
家の中をぐるっと見回しても特に変化なし。腰より高い位置にあるのはテレビくらい。本棚も全て低い位置にしかないので倒れるものもありません。
唯一、階段に吊り下げてある電気がガラスのキューブ状のもので3つ並んでいるのですが、それが大きく揺れてガシャンガシャンとぶつかり合っていました。
ずっと夫に「これはガラスだから絶対危ない。他のものに変えよう」とお願いしていましたが、「大丈夫だよー」とスルーされてはや10年。
今回でやっぱり危ないと確信。絶対撤去。夫も納得してくれました。(遅い)
食器棚も特に影響なく、割れるお皿もありませんでした。
我が家の食器棚は安全ロックがついていて、大きな揺れを感知すると自動でロックがかかります。
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子どもたちは一緒にいるので、とにかくまずは夫の安全の確認を!と思い、携帯に電話するも繋がらず。何回かけてもだめ。
家の電話だったら?と思い挑戦するも繋がらず。
そうこうしている間に、石川の母から電話!なるほど、県外からの電話なら繋がるのか!
能登沖の地震が昔あった時、母もすごい揺れを経験しています。その時にキッチンの食器棚がロックがかかって、それを解除するのに時間がかかったと言っていたのを思い出しました。
実家のキッチンと我が家のキッチンは同じメーカーなので、ロックの解除方法を母に聞いてやってみると成功!
そして、電話が繋がりにくい状況であることを伝え、もしこのあとまた大きな地震が来たら石川の母をハブにして私・夫・義母の安否確認をしてもらうことにしました。
その時点で私と夫は連絡が取れていたのでよかったのですが、次何かがあったときは連絡が取り合えない可能性もあるので。
県外に親戚や実家があれば、そこを拠点にして連絡を取り合うということの重要性を再確認しました。
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そうこうしている間に、息子の友達が迎えに来てくれました。
学校あるのかな?どうなのかな?そう思いながらも、小学生組はみんな学校に向かって歩いて行きました。
不安な親御さんは子どもと一緒に学校まで。私は家の前で息子たちを見送りました。
夜帰って来た夫はそれが信じられなかったらしく、「そんなん、学校行かせたらダメやろ!」と。
そこでハッとしました。確かにあの時私は知らず知らずのうちに「正常性バイアス」が働いていたんだと思います。
大丈夫、大丈夫、いつも通りの生活ができる、、、と。
そして他の小学生たちも普通に学校に向かってるし、親御さんたちも見送っているし、それを目の当たりにしての「多数派同調バイアス」も。
その後、不安がる娘を着替えさせて、幼稚園バスのバス停に。これも今思えば完全に「正常性バイアス」と「多数派同調バイアス」。(詳しくはこちらを参照)
結局、幼稚園バスは来ず、幼稚園からの連絡網も回ってこず、結局ママ友たちからのLINEで「今日はひとまず自宅待機」という情報を得て家に帰ることにしたのでした。
幼稚園からのオフィシャルな連絡は夕方になってもなく、ママ友間でのLINEによって「休園決定」の情報を受信しました。17時過ぎようやく幼稚園の連絡網が回って来て、「明日から3日間は欠席しても欠席扱いにならない自由登園になる」という連絡を受け取りました。
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電話がこんなに繋がらないなんて初めてで、それだけでこんなに不安になるものなんだと実感しました。
夫からはショートメールで安否確認が来ました。夫は100人規模の人が集まる場所で働いているため、ネットさえも繋がりにくい状況だったらしいです。
私は家にいたので、「あぁ、電話は繋がらなくても、LINEとかメールなら連絡取れるんだ!よかったー!」と楽観的にいましたが、人がたくさん集まるところだとネットも繋がりにくくなることを知り、自分も梅田や難波など人の多いところにいたらそうなる可能性があるんだと学びました。
LINEやFacebook、インスタは問題なく使えていたので、それら経由で友達たちからたくさんの安否確認が来ました。
すぐにFacebookに無事を知らせる投稿をして、そのあとは、ひたすらテレビをチェック。
津波がない地震で本当に良かった。。。我が家は大阪で最も津波の被害を受ける地域なので。
そして玄関に置いておいた防災リュックを出して、中身を確認。足りないもの、季節外れのものを確認して補充したり入れ替えたり。
4歳の娘はひと時も私から離れません。私が1階に行くときも2階に行くときも、どこに行くにもついて来ました。
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小学校からは「安否確認をしている」「全員の安否が確認できた」「通常通り授業を行う」旨のメールが随時来て、とても安心できました。
大阪市長が早い段階で「大阪市内の学校は休校」という内容のツイートをしていて、
本日の大阪市内の保育所、幼稚園、小学校、中学校、高校は、安全確保のため、全て休校にする指示を出しました。自宅で安全確保して下さい。
— 吉村洋文(大阪市長) (@hiroyoshimura) 2018年6月18日
「あれ?でもうちの学校普通に授業してるけどなぁ」と思っていましたが、お昼前に学校から「給食後帰宅させます。お迎えに来てください」というメールが来たので娘と学校へ。
私がもし家にいない状況だったら迎えに行けないよなぁ。
あと1時間半ほど後に地震が起きてたら、私は難波にいたはず。
電車も全部止まっているし、子供たちを迎えに行けるのは何時になってたかわからない、、、。
テレビでよく見る「帰宅困難者」になってたんだなぁと思うと、本当に怖くてたまりませんでした。
今回はたまたま子どもたちと一緒の時だったけど、そうじゃないパターンもあるわけで。
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息子が帰って来たあとは、親子3人で家で過ごしました。
子どもたちは不安がっているけど、でも今後また大きな地震がある可能性もあるし、そのことをしっかり伝えてもしそうなったらどうするかのシュミレーションをしてみんなで確認。
夫はいつもより早く22時ごろには帰宅してくれました。
私が梅田や難波にいる際に被災したら間違いなく帰宅困難者になるから、そうなった時は子どもたちを迎えに行ってもらうよう再度確認。
もし津波が来る地震だったら、まずは自分の身を守ることを優先して、無理に迎えに行かないことも念押ししました。
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今日は2018年6月21日。
今現在、大きな余震もなくまた日常が戻って来ていますが、でも本当にいつどんな時に起きるかわかりません。
こないだの地震が余震で、本震がこのあと起きるかもしれない可能性だってゼロではありません。
今できることをしっかりして、いざという時に後悔のないようにしたいと思います。
私は今まで大きな地震を経験したことがなく、だからこそ気をつけなければと思い準備をしたつもりでいましたが、でもいざ自分が経験してみるとびっくりするくらい動揺して不安になりました。
もっと冷静でいれると思ってたのに…
今年1月に開催した子育て防災collegeで講師の辻直美先生がおっしゃっていた「レジリエンス」の大切さを今改めて感じています。
3秒で瞬時に判断して、その判断に自信と責任を持って行動する。それが生死を分ける。そしてどんなこんな状況に置かれても冷静さを失わない強さを持つこと。そして生き抜く覚悟を持つこと。
辻先生の講座が今すごく活きています。
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子どもたちの心の不安定さがまだまだ続いていますが、こんな時だからこそママは明るく元気に。
そして不安定な子どもたちの心をしっかり受け止めてあげないとと思います。
いつもは私を「お母さん」と呼ぶ娘が、「ママ、ママ」と言うようになりました。これは娘の甘えたい気持ちが強い時の表れです。
夜も子どもたちだけでは寝れなくなりました。
抱っこ、おんぶの回数も増えました。
自分自身の不安な気持ちも完全に消化できていない中で、子どもたちの気持ちを受け止めるのは正直難しくて。
だから近所のママ友と話して、自分自身も怖い・不安であるということを言葉にして伝え合って、そうすることで自分の気持ちを受け止められるようになったかなと思います。
怖いとか不安という気持ちに蓋をせずに、思いを共有しあって、理解しあって、その上で子どもたちに向き合えたらと思います。
だってママだって怖いですから!!!不安ですからー!!!
夫がいない時間が長い中で、子どもたちを守らないといけないという責任もありますしね。
でもやりきらねばなりません。
だからこそ怖い・不安!という気持ちはどんどん吐き出そうと思っています。
その上で腹をくくる。
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世の中は相変わらず動いていて、W杯もあって、みんな普通に生活をしてて、でもその一方で同じ大阪でも水やガスが止まって、満足にお風呂に入れない人や避難所生活の人もたくさんいます。
同じ大阪に住んでいるのに、、、
なんだか不思議な感じがします。
とにかく今後、これ以上被害が広がらないことを願って。
でもまたきっと大きな地震は来るわけで、その時に後悔しないようにしっかり備えたいと思います。
今回は大阪でしたが、日本全国どこで何が起きてもおかしくない状況です。
どうかどうか、「他人事」としてではなく「明日は我が身」という危機感や緊張感を持って、大切なお子さんや家族を守れるようにしっかり備えてくださいね。
みなさん、大切な家族のために絶対に生き抜きましょう。
以上、スマイルママ代表・釜ちゃんでした。
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